道後温泉の喧騒を抜けた先で何が起きているのか? 2026年、地元民と旅人が交錯する「フジ道後店」の静かなる大変革
フジ 道後の自動ドアをくぐると、夕暮れ時の独特な活気が鼻腔をくすぐる。甘夏やせとかなど旬の柑橘が放つみずみずしい香り、惣菜コーナーから立ち上る揚げたてじゃこ天の湯気、そしてレジ越しに交わされる柔らかな伊予弁。日本最古の名湯として知られる道後温泉本館が、長期の保存修理工事を終えて全館営業を再開してから早くも2年近くが経過した2026年春。観光客でごった返す温泉街のアーケードからほんの少し足を延ばした住宅街の結節点で、地元に根付いたこのスーパーマーケットが静かな、しかし確かな変貌を遂げている。
松山随一の文教エリアを背負う立地上、夕暮れ時の店内には愛媛大学や松山大学のジャージ姿の学生たちと、手押し車を引く近隣の高齢者が自然と同じ通路を行き交う。日没前の慌ただしい買い出しの時間帯、フジ 道後の生鮮売り場を眺めると、地元のベテラン主婦に混ざって、スマートフォンの地図を片手に持ち歩くバックパッカーや浴衣姿の湯治客の姿も目につくようになった。観光地特有の演出された華やかさとはまるで違う、松山という街が日々紡ぎ出している生身の生活のリズムが、ここには凝縮されている。
温泉街の台所が挑む「観光と日常」の境界線
観光地と生活圏の境目は、往々にして曖昧だ。道後温泉本館から道後樋又通りへと坂を少し下った場所にあるこの店舗は、長年「近所の人々の冷蔵庫」として機能してきた。だが2026年現在の様相は、数年前とは明らかに違う。
インバウンドを含む個人旅行者の行動パターンが劇的に変わった。ガイドブックに載るようなお土産屋の木箱入り菓子ではなく、地元の人が普段から買っている調味料、地元スーパーでしか並ばない柑橘ジュース、鮮魚コーナーの地魚。そうした「加工されていない日常」を求める旅行者が、この店舗へ吸い寄せられている。
店側もその変化を敏感に捉えている。青果コーナーの先頭には、贈答用ではない家庭用の不揃いな県産みかん袋が山積みされ、そのすぐ隣には旅人が手軽にホテルへ持ち帰れるカットフルーツが並ぶ。日常を守りながら、外からの視線も受け入れる。その匙加減の巧みさが、この場所を単なるチェーン店以上の存在に押し上げている。
じゃこ天からクラフトビールまで:陳列棚に凝縮された愛媛のリアル
惣菜コーナーの棚を見れば、街の縮図が即座に立ち現れる。宇和島風の甘辛いタレが染みた鯛飯の弁当、八幡浜のすり身を使ったじゃこカツ、そして夕方になると飛ぶように売れていく伊予の郷土寿司。夕刻、フライヤーのベルが鳴ると同時に、仕事帰りの会社員と旅行者が並んでトングを伸ばす。
「観光物産館に行けば立派な箱入りのじゃこ天が買えます。でも、ここで買える温かい1枚150円の揚げたてこそが、私たちが子どもの頃から食べている味なんですよ」。棚の補充をしていたベテランスタッフが、少し誇らしげに教えてくれた。
酒販コーナーの充実ぶりも目を引く。道後温泉の地ビールや内子町のワイン、県内各地の蔵元から届く銘酒が、大手メーカーの缶チューハイと当たり前のように肩を並べる。気取ったディスプレイはない。だが、日常の食卓を彩る酒として並べられているからこそ、訪れた者はそこに愛媛の豊かな風土を実感する。
2026年型リテールDXの波――省人化と温もりの間で
四国全域を巻き込んだ流通再編を経て、中四国のメガリテーラーとして規模を拡大したフジ。その店舗網のなかでも、道後店は先端技術と地域コミュニティがせめぎ合うテストベッドのような趣を呈している。
レジ周りにはフルセルフレジやスマホ決済ゲートが整然と並び、若者やビジネス客はバーコードをリズミカルに読み取って数秒で決済を終えていく。AIによる需要予測は発注ロスを大幅に削減し、値引きシールの発行タイミングすらデータで最適化された。
一方で、有人レジの列からは今日も談笑が聞こえてくる。「今日は風が冷たいね」「風邪ひかんようにね」。70代と思しき常連客に、チェッカーが手を添えて釣り銭を渡す。どれほどデジタル化が進もうとも、対面での短い挨拶が街の孤独をどれだけ救っているか。効率化の波をくぐり抜けたからこそ、残された人間味のあるやり取りが一層の輝きを放っている。
学生街の胃袋を支えて半世紀、変わる若者の食事情
道後エリアを語る上で欠かせないのが、背後に控える広大なキャンパス群の存在だ。親元を離れて松山で一人暮らしを始めたばかりの10代にとって、このスーパーは生命線そのものと言っていい。
物価高が家計を直撃し続ける2026年の日本。学生たちの買い出しスタイルも、よりシビアに、より賢明になっている。大容量パックの鶏むね肉、値引きされたもやし、プライベートブランドの冷凍うどん。夕暮れ時、かごの中身を計算しながら売場を行き来する若者たちの眼差しは真剣そのものだ。
そんな彼らのために、近年拡充されたのが一人暮らし向けの「小分け惣菜」や、手軽に野菜を補えるレンジ調理キットだ。コンビニエンスストアよりも圧倒的に安く、外食よりも体が休まる。この店は、慣れない土地で自立しようともがく若者たちの「静かな応援団」であり続けている。
夕暮れ時のタイムセールに集うコミュニティの温度
時計の針が午後6時半を指す頃、売場に小さな緊張感が走る。黄色い値引きシールを手にした店員が登場する合図だ。
刺身の盛り合わせ、焼き鳥、焼き立てのパン。貼られた瞬間に次々と売れていく光景は、どこか懐かしい下町の市場を思わせる。顔なじみになった近所のお年寄り同士が「今日はブリが良いわよ」「じゃあ半分こしようか」と声を掛け合う。孤独死や地域の希薄化が叫ばれる昨今、こうした夕暮れの偶発的なコミュニケーションが、緩やかなセーフティネットとして機能している現実は見逃せない。
誰かと待ち合わせたわけではない。それでも、同じ時間に同じ棚の前に立つことで、自分がこの街の一員であることを確かめ合う。スーパーマーケットとは、ただモノを売る場所ではなく、社会的な居場所なのだと実感させられる瞬間だ。
四国流通の激動期に見せる「地域密着」の誇り
イオンとの経営統合を経て、流通業界のスケールメリットを最大限に活かしながら、いかにして「地場スーパー」としての誇りと独自色を維持し続けるか。これは今、四国の流通業全体が直面している最大の命題でもある。
画一化された全国チェーンの品揃えに染まりきってしまえば、わざわざこの場所に店を構える意味は失われる。愛媛の柑橘農家が持ち込む無選別の果実を買い取り、瀬戸内海の小魚を丁寧に捌いて売り場に出す。巨大資本の合理性に身を置きながらも、泥臭い地域へのコミットメントを手放さない姿勢が、道後店の棚からはひしひしと伝わってくる。
道後の湯に浸かり、火照った体で夜風に吹かれながらこの店に立ち寄る。そこで目にするのは、観光パンフレットには絶対に載らない、松山という地方都市が脈々と受け継いできた「生きている日常」そのものだ。2026年の今、この小さなスーパーが発信しているエネルギーは、訪れるすべての人の足を思わず止めさせるほどの引力を放っている。 (出典: フジ 道後(Yahoo!ニュース))